草原の河(映画)

評価★★★★☆

大学の卒業旅行でチベットに行ったとき、ラサの寺院の前で、10歳くらいの少女に流暢な日本語で話し掛けられた。えっと思うまもなく、彼女の口から次々と言葉が出る。聞けば、日本語を生かした貿易の仕事に就きたいので、観光客相手に語学力を鍛えているのだという。チベットを舞台にした中国映画「草原の河」の女児ヤンチェン・ラモを観て、あの少女の純朴な眼差しを思い出した。世界を舞台に活躍しているだろうか。

ラモと少女は共に、学校ではなく、身近な生活の場で人生の教えを請う。雄大な自然が相手か、生身の人間が相手かこそ違えど。

人間と向き合う少女は老成していた。こちらが何を言われたら喜ぶか心得ている。子供らしくない。悪い意味ではなく、環境が彼女を早く大人にさせたのだろう。

6歳のラモは人間慣れしていない。動植物に対しては積極的に関わろうとするけど、同世代の子供とは上手くいかない。人との距離感が掴めないのだろう。野生児に近い。

一方、いつも側にいる父母への関心は人一倍強い。自分を守ってくれる唯一の存在を手放したくない。本能的な振る舞いが、子供らしくて微笑ましい。

父親がバイクともども氷結した湖から落ちると、彼女は無事だと分かった後も止めどなく涙を流す。母親が第2子を授かったと分かると、必要以上に甘える。

驚かされるのは、ラモの豊かな感情表現。いわゆる目に見える激情ばかりではない。怒りや絶望、微かな希望が無表情の奥にも潜む。小さな女優の名演に心を打たれる。

遊牧民のありふれた日常が繰り返される中、2つの非日常が物語に鮮やかな刻印をもたらす。1つは、一度俗世に戻って再び出家した祖父との再会。ラモは、過去に確執があって上手くいかない父親との間に入り、純朴な眼差しを向けて二人の距離を近づける。

もう一つは、可愛がっていた子羊との別れ。手元に置いて可愛がっていたが、群れに戻した途端、狼に襲われてしまう。ショックから言葉を失う。それを乗り越えたとき、人間的な成長や家族の絆は一層深まる。

物語全般を通して、大平原を生かした遠景のカメラワークが光った。遥か彼方にぽつんと佇む米粒のような姿が、各シーンにおける心情を如実に表していた。

とりわけ子羊を亡くしとき家からラモを眺めるショット。当然表情など見えないのに、悲しみの思いがひしひしと伝わってきた。